高瀬山(314m):たかせやま 山頂に岩盤をえぐって穴をあけたような不思議な跡(島根県出雲市 2020.3)
大昔、山頂に清水が湧いていたので別名「高清水:たかしみず」
埋蔵金が眠る城山伝説を物語るような大きなたて穴跡が残る登山道
尼子十旗の一つで高瀬城は第六旗、城主米原氏は戦国大名尼子氏の重臣
現在,登山道はよく整備され、少し気を配るところはあるものの山域は全体的にキレイな趣きがあり楽しくハイキングができるコースでした。
山頂から出雲平野を一望できる山城跡は、「連郭式:れんかくしき」を顕著に思わせる自然の地形を巧みに利用して三の丸に鉄砲立があり切り立った断崖から攻めの毛利軍を攻撃し、急坂の小刻みな七曲りの先に鞍部を利用して駄置場・二の丸の武器などを長蔵した場所、両サイドの谷、絶壁などがある天然の要害を複雑に利用した山城に思われます。
所在地:島根県出雲市斐川町神庭
簸川南地区広域農道「出雲ロマン街道」の左側に「高瀬城跡(山城)戦国時代・尼子十旗米原氏居城2.1km」の案内があり、この案内を700mから800m左折した奥に宇矢谷の登山口。山陰自動車道を配下に高瀬城跡の2つのピークが見えている。左のとがった峰は大黒山
◆ コースタイム:約1時間30分
山陰自動車道高架下の宇屋谷登山口から登山 ⇒ 神庭谷菊通池登山口へ下山
神代神社駐車場(10:18) ― ロードを歩く(13分)―宇矢谷登山口(10;30)―高瀬山の頂上まで1.4K― 三の丸:鉄砲立(10:43)―駄置場・二の丸;小高瀬(10:59)―少し鉄板が朽ちいる7段のはしごに注意(11:07)―登山道にあるたて穴(11:09)―高瀬山頂上(11:13)
下山開始(11:20)―光明寺と神庭谷分岐(11:39)―菊通池(12:02)―神庭谷登山口下山(12:03)―ロードを歩く(40分)―神代神社駐車場(12:43)
◆駐車場
宇矢谷側は赤い高瀬不動橋の手前に広い場所があり。神庭谷側はため池の入口の草原に車数台の駐車は可能。グループ:車2台使う方法、単独:車と自転車使用か徒歩
私達は、広域農道脇にある「神代神社」の駐車場を利用してロードを歩きをした。
◆参加者:65歳~78歳 シニア13(男性6、女性7)人
戦国時代、尼子軍最後の拠点として戦った「高瀬城」跡の山頂をめざす!
登山者が多いのか登山道は踏み固められているので歩きやすく、しっかりと標識が設置してあるので道に迷うこともないでしょう。数カ所注意する場所は少しだけ朽ちた短い階段と神庭谷に下山するとき急こう配のところを丁寧に気を配れば全体的に歩きやすいですよ。
コースタイムが約90分なので少し若い男性諸君に行動食+飲み水をお願いして、女性群はほぼ軽みで~~す。(・∀・)ニヤニヤ
ここを登山道なりに登ると穏やかな雰囲気の尾根歩きが続きます。
山里で早春を伝えてくれる「シュンラン」ミッケ!わぁーいヾ(´∇`。*)ノ
シュンランは超~ 好きですね。穏やかな尾根歩きだからこそ登山道をゆったりとあるき見つけました!
毛利軍が進撃してくるのを鉄砲で迎え撃つ場所として設けられた尾根はこんな感じ!
両側の谷から攻めてくる敵を逃げ場のないように狭い尾根にしたのでしょうか? 今では真逆のゆったりと雑木林の散歩コースです。
そして、急登な七曲りの始まり、急こう配を小刻みに七回曲がるのも防衛の戦略でしょうか?
急登を登りきるとここから先は本当に椿の木がおおいですね。
ちょっと広い場所は武器や兵量を貯蔵しておいたところ。毛利軍はここまで攻めてきたと記されています。
現代人の私たちもヨイショ、ヨイショで登りますが、この先にある本丸の大高瀬に必死の攻撃だったのでしょう。
ここが第一関門 ちょっと大げさでしょうか?
大きな岩にチョット朽ちた鉄板の階段が設置してあります。注意しましょう!
チョット怖い階段を登れば、不思議な大きなたて穴、なんのために? 清水が出たところ? 戦いのために? 埋蔵金を探した? いにしえにいろいろと想像して思いをはせながら登り詰める先に 開けた場所が高瀬山の頂上。
頂上は展望がよく、出雲北山、向かいに大黒山、眼下に出雲平野を眺望できる。
そして、ここにも人工的に切り抜かれたのか? 自然なのか? えぐられたような岩盤
頂上に設置の「高瀬山」の案内版にも記されていません。自然なのかな~~?
いろいろ 想像を募らせて 下山開始!
神庭谷の方へ下山開始。いきなり急坂です。一度休んだ体ですゆっくりと慎重に行動をしましょう。
途中、マツの木の落ち葉がいっぱいある急坂があります。以外にも足が滑りやすく、登山脇に捕まる樹々もすくなく難儀しましたね~。 そしてガレた場所に設置された樹の階段がカーブしています。ここも慎重に!!
高瀬山第2の注意場所です。その先も設置のロープに悩まされたみんな
神庭谷から登山するためにこのロープが 設置されているのでしょうか?下山する時は意外に高い位置にあり、扱いに悩みました。
穏やかな登山道を下山していくと光明寺と神庭谷の分岐があります。今回は神庭谷方向へ下山します。
入口に3個のお地蔵様がお待ちされていますよ!。この先に草むらの車が5~6台おける場所があります。
「腹が減っては戦ができねぇ~!」ですが、、お昼は荒神谷遺跡公園で
お昼ご飯は近くの「荒神谷史跡公園」の管理棟でブタ汁をつくり持ち寄りのご馳走でいただきま~~す。 (´∀`) まんぷくだっす
荒神谷遺跡 銅剣と銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土で有名
昭和58年 広域農道(出雲ロマン街道)の建設にともない遺跡調査で田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)をひろったことがきっかけとなり発見されたそうです。
遺跡は斐川町神庭西谷にあります。公園内には古代ハスやたくさんのツバキなど季節の花々が咲いています。この日はめずらしい小さなツバキの花がいっぱい管理棟前に咲いていました。
春から秋にはバーベキューやハイキングで楽しめ、古代農耕地で黒米が栽培されています。いろいろのイベントもあるようです。
高瀬山の高瀬城は戦国時代に米原氏により築城された。いろいろな防御策を作り毛利軍と激しい攻防戦があった山です。
出雲ロマン街道の広域農道からよく見える山は、現在、多くの人が登山しているようにうかがえます。雑木林は豊かな緑でつばきの花がキレイに咲いていました。